殯宮祗候

平成元(1989)年2月24日は、冷たい雨の降る日でした。高齢だった亡父は昭和天皇の大喪参列を断わっていました。ほぼ同年だった私の恩師は、新宿御苑の大喪から武蔵野御陵まで参列されたのに、兵役も務めた父は、もう充分御奉公した、風邪でも引いたら今後の御奉公ができない、と言うのです。崩御から大喪までの間に35日間ほど、殯宮祗候という行事があって、各界代表が2人ずつ1時間、入れ替わりで呼ばれました。民間でいう通夜に当たり、皇族2人が同席して棺の傍に侍るのです。その間身じろぎ一つしてはいけない、勿論喋ったり眠ったりしてはいけないのだそうで、皇族方はさすが習慣づけられているのでしょうが、同席した他社の社長について父は、あの人は座禅の経験があるけど、僕は辛かったなあ、と述懐していました。

しかし新帝の即位式には参列しました。葬儀には必ず駆けつけよ、という田中角栄の家訓とは異なって、我が家では、お祝い事には無理してでも出て上げるものだと教えられました。思うに政治家は新たな後継者と縁を繋ぐことが大事、そこが、自らは祝儀を慎ましくし周囲が花を添えてやろうとする官僚とは違うのだと思います。

吉田茂にも仕えたので国葬に出たはずですが、何も感想は述べませんでした。軍部がめちゃくちゃにした日本を建て直す道をつけた首相を送るのに、自然な待遇だったのでしょう。野党は国葬の基準を作るべきだと言っていますが、国葬天皇上皇だけでよい。それは大喪と定められているので、つまり国葬吉田茂が最後でいい、と思います。何よりも静かにお送りするのが、死者への礼儀。

すでに家族葬は済んだのだから、27日はいわば「偲ぶ会」に当たるのか。いずれにせよしめやかに、質素に執り行って、2度と政権の都合で決めたりしないことです。