女のいない男たち

村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文春文庫 2016)を読みました。遅ればせながら「ドライブ・マイ・カー」を読んでみようと思って買っておいたのです。枕元のツンドクの山に埋もれていましたが、このところ畑違いの論考と格闘する日々が続き、気分転換に読んでみました。久しぶりの小説、1作目は伸びをするような気持ちでしたが、3作目、4作目は少々よっちゃり(福岡方言。食傷した気分をいう)しました。

本書には①ドライブ・マイ・カー ②イエスタデイ ③独立器官 ④シェエラザード ⑤木野 ⑥女のいない男たち の6編が収められ、配列も作者の意図によったらしい。私は配列順に読んだのですが、やはり①が淡泊ながら一番印象に残り、不気味だけど⑤が、また散文詩的な⑥も印象に残りました。私はハルキストでもなく(20年以上前、さる大学で卒論の評価をやらされて、やむなく80~90年代の彼の作品を文庫本で山のように買い込み、読破したことがある)、近代文学を論じるがらでもないので、以下はあくまで個人の(断片的な)感想です。

①は主演西島秀俊という前提が頭にあって、横山秀夫の「ノースライト」を連想しながら読むことになりました。②は関西弁のせいか、又吉直樹の「火花」を連想しました。純粋だけど普通人からは滑稽、理解し難く見えてしまう主人公に、どこか共通性を感じたようです。③④は依存性が主題、⑤は都市の怪談風に仕立ててありますが、この作家がしばしば見せる民俗的な味付けが効いています。⑥は初恋を比喩的に描いた散文詩

作者自身は長編作家を自称しているようですが、ふと、本来長編向きではないのではないかと思いました。かつて読み飛ばした長編は、短編の積み上げで出来ていたような気がしたのです。存在のわからなさ、不確かさ、それが本書のテーマでしょうか。