元暦2年(1185)2月、義経軍は、讃岐の志度合戦後に田内左衛門教能(のりよし)を捕らえていました。教能の父は平家と行動を共にしている阿波民部重能です。
【壇浦(赤間ヶ関)】
3月24日、壇浦で源平最後の戦いが行われます。知盛は阿波民部の様子に異変を感じ処罰しようとしますが、宗盛に止められます。その結果、子を思う阿波民部の裏切りにより平家側の情報が源氏に筒抜けになってしまいます。すべてを悟った知盛は、船内の掃除を始めました。
【赤間神宮】
この様子を見ていた二位尼時子は、8歳の安徳天皇を抱いて船から入水します。赤間神宮は安徳天皇を祀る神社で、旧国宝の長門本『平家物語』が所蔵されています。覚一本『平家物語』に「門司、赤間、壇の浦はたぎりておつる塩なれば」とありますが、赤間神宮から臨む壇浦の潮のうねりは、うごめく生き物のようです。
【赤間ヶ関】
能登守教経は義経を狙いますが、義経は「長刀脇にかいはさみ」別の船に飛び移ってしまったので、教経は他の敵を道連れに海へ飛び込みます。知盛は「見るべき程のことは見つ」とつぶやき、乳母子と共に入水します。歌舞伎や浄瑠璃の影響により、碇をかついだ「碇知盛」の姿が有名です。
【七盛塚(赤間神宮)】
赤間神宮境内には、清盛・時子・知盛・教盛ら十四人の平家一門の墓があります。「耳なし芳一」の舞台でもあり、七盛塚の傍らに建つ芳一堂には、耳なし芳一像が置かれています。