コロナの街・part 35

九段の桜が咲いたというので、今年の花見の段取りを考えました。例年、長泉寺、青山墓地、東京都戦没者霊園、伝通院、播磨坂、教育の森公園、大塚駅前、東大工学部などをほっつき歩くのですが、今年は目的地を絞り込むことにしました。脚力もなくなったし、身体が敏速に動かないので1日が短くなり、仕事が片付かないのです。

長泉寺の山桜は未だ咲かず、播磨坂へ買い物がてら下見に行くことにしました。EVで上階の女性社長と乗り合わせ、今年は何処へお出かけですかと訊いたら(いつもは花の名所へ旅行するのだそう)、こんな御時世だから駒込の吉祥寺にでも、とのことでした。

播磨坂は並木の梢が潤んで見えましたが、花は1分咲きにもなっていません。スーパーの野菜売り場を物色、花山葵があったので、つい1束買いました。ラディシュ、クレソン、こごみ、うるい、芹、浜名湖青海苔十三湖の蜆・・・美酒のある食卓が眼に浮かび、早々に帰宅しました。春日通りは高校から院生時代まで通学したので、殊に春先は甘酸っぱい回想が身を浸します。先が何も見えていなかったあの頃、努力すれば何でも出来るようになれると、根拠もなく信じていたあの頃。当時は気がつかなかったけれど、振り返れば、将来が見えない幸福というのは何物にも代え難いものかもしれません。

2,3日寒い日が続くそうで、花見は未だ先になりそうです。九段の桜はもう老木なので、気がせいて早く咲くのでしょう。母方の実家は、日本で一番古い造花問屋でした。店が九段にあり、白い絹地を染めるところから手作りで、アートフラワーの飯田深雪にも手ほどきした、と伯母は話していましたが、戦後プラスチック製の香港フラワーに敗北して店を畳みました。それゆえ、九段の桜が咲いたよ、との知らせは、我が家では軍国主義とは別に、特別なものだったのです。