道宣律師の物語

牧野淳司さんの「延慶本『平家物語』にある道宣律師の物語について(続論)―敦煌の「隋淨影寺沙門恵遠和尚因縁記」を視野に入れた考察ー」(「古代学研究所紀要」31)を読みました。「軍記と語り物」34号(1998)、『延慶本平家物語全注釈別巻』(汲古書院 2021)に書いた論考の続編だそうです。

延慶本巻3「法皇御灌頂事」には、住吉明神に驕慢を戒められた後白河法皇が、韋多天に対面した唐の道宣律師に自らを引き比べる記事があり、その解説として長い説話が語られます(源平盛衰記巻8「法皇三井灌頂」にもある)。牧野さんは、この物語から①道宣が、持戒僧である自分は破戒僧玄奘よりも毘沙門天の守護を受けるに相応しいと考えたこと②修行中の道宣は心身共に清浄であったのに、大慈恩寺長老になってからは俗事に汚れて天の守護を失ったことの2つの要点を抽出、考察を加えました。

すでに取り上げていた『宋高僧伝』『律相感通伝』『諸事表白』『太平広記』のほか頼喩著『秘抄問答』や敦煌文書『隋淨影寺沙門恵遠和尚因縁記』をも含め、延慶本の背後に、仏法流通のための天人感応説話の拡がりがあることを指摘します。そして延慶本には、天に守られた後白河法皇が護法菩薩として仏法を興隆させていくという構想があり、道宣の物語がその鍵となっているというのです。

かつて盛衰記巻8の注釈をした際に、『太平広記』までは辿り着いたものの、これだけの仏教資料の拡がりは予想できませんでした。一見無駄な傍系説話にみえる叙述に、延慶本の核心が隠されていることを読もうとする試みには、期待が持てます。但し、著作の多い道宣と延慶本、また慈円へと結びつけていくのは、深読み、期待読みを自重する必要がありそうです。それにしても、どうにも長すぎる論文題、何とかならないか。