送る言葉ー日本からロシアへ

以前にもこのブログに書きましたが、私たちはロシアを尊敬してきました。その文学、音楽、料理、舞踏や曲技、幼い頃からそれらに親しみ、憧れを持ち続け、国家体制の移行をも期待を持って見つめてきました。それゆえ今般のロシアによる他国への軍事力行使は黙視することができません。あのロシアがこんなことを、と悲しく、つらい気持ちで毎日を送っています。ロシアは直ちに軍事的攻撃を止め、外交交渉の席に着くべきです。有効な交渉結果を得ようとするなら、いかなる脅しも暴力もあってはなりません。

国際社会の支持が得られない戦争を続けた結果がどうなるかは、日本がかつて満州で、またアメリカ合衆国がヴェトナムでしでかした失敗を思い出せば誰にも判ることです。ロシア大統領の独善的な認識がどうあれ、ウクライナには現に、ここが自分たちの国だと感じ、働き、将来に亘ってここで生きていくと考えている人たちがいます。いまロシアが加えている攻撃は、彼らに対してますます、ロシア以外との軍事同盟の必要性を立証するだけです。非武装中立を要求するなら、それが可能な環境を作る、つまりロシアを始め強大国からいかなる攻撃も受けず、懸案は外交交渉によって解決できるとの保障がなければなりません。いまロシアがやっていることが真逆の行為であることは、明らかでしょう。
軍事攻撃が始まった時、あたかも消防士がホースを肩に掛けるように、無言で銃を肩にして家を後にする若者の映像が流れました。武器があのように躊躇なく若者の肩に懸かる日常は、どこの国にもあってはなりません。「お父さんは英雄たちの所へ行った。きっと戦うんだ」と溢れる涙を払いながら話す、(弊国で言えば小学校低学年ほどの)子供の映像も全世界に流れました。たとえ現政権を倒し、ロシアに従順な政権を作ったとしても、ウクライナはもとよりロシアにも、平和は戻ってきません。父が斃れれば、その子がやがてゲリラとなって抵抗を続けるでしょう。憎しみの連鎖が切れなくなります。ロシア国民は自分の子供たちに、そのような祖国を遺していきたいですか?
ロシアの大統領は、他国の人民に向かって、その手で権力を掴め、と呼びかけました。目覚めるべきなのはほかでもない、自分自身なのに。ならば「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と謳う憲法を持つ私たちは、ロシアの人たちに呼びかけます、あなた方の国も民主国家だと代表者が言っている、ではあなた方の将来の幸福と名誉とを自分たちの手で守りなさい、権力者の嘘と利己的動機を見破れ、と。
日本国憲法は「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。」と宣言し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」していくとの決意を表明しています。私たちはそれを誇りに思っています。殊に、自国にも他国にとっても大きな犠牲を強いた上で獲得された決意であることを思えば、眼前の歴史的な蛮行を見逃すわけにはいきません。自国がいま何をやっているのか、世界がそれをどう見ているか、正しく知ろうと努めて下さい。兵士たちは、自分がいま何のために武器を使っているかを考えて下さい。そしてより安全な海外にいるロシア人は、正しい情報を本国に届けようと試みて下さい。今すぐ。