遠いビルマ、近いミャンマー

ミャンマーのクーデター、就中日本の支援を求める声に心を痛めながらも、分からないこと、知らないことの多さにとまどっています。ビルマという国名だった頃の知識は、仏教国、宝石の産地、ロンジーが民族衣装で、首都はラングーン、そして小説『ビルマの竪琴』(竹山道雄 1948)の舞台だということぐらいでしたが、国名が変わった頃(1989)から2011年の民主化まで、何故か鎖国状態と思い込んでいて、情報が私の中で更新されていなかったのです。

調べてみると、11世紀までは詳しい記録がなく、ビルマ族による統一国家は栄枯盛衰を繰り返し、民族紛争と中国の影響が絶えなかったらしい。幾つもの国境に接し、山岳地帯を抱える地域の難しさでしょう。近代は英国の植民地となり、1941年に日本軍が侵攻、現地の国民軍と共に英国と戦った時期もあったようです。日本敗戦によって英国領に戻り、48年に独立、英連邦には入らず、社会主義や軍事クーデターを経て、ようやく民主化の過程を辿りつつあったところでした。

子供の頃、『ビルマの竪琴』を愛読し、ラジオドラマで聴いた「オーイ水島、一緒に日本へ帰ろう」という呼びかけは印象に残りました。ビルマの密林を踏破して、中国の補給線を断とうとしたインパール作戦は、史上最も無謀な作戦として有名です(日本兵の死者は7万2千とも10数万とも言われ、遺骨の大半は帰りませんでした)。熱帯の密林で無残に亡くなったままの同胞のことは、当時の日本人の心奥に刺さった大きな棘だったのです。その後、『ビルマの竪琴』は批判が相次ぎ、名作とは言われなくなりました。

いま日本政府はODAの保留というかたちで(メッセージなしに)、ミャンマーの民衆に応えました。遠くなったビルマ、しかし今や近くにあるミャンマー、私たちはどう関わればいいのでしょうか。