預かりもの

近年は「後進国」という語は使わない方がいい(現に「先進国」はすぐ漢字変換できるのに、反対語の方はなかなか出て来ない。「発展途上国」と言うらしい)のかもしれませんが、政治体制の成熟度を測る目安の1つは、前権力者が平和に隠居生活を送れるかどうかではないかと思っています。政権交代するや否や前のトップが投獄されたり暗殺されたりする国は、大小に拘わらず未だ後進国でしょう。

鶏と卵論争のようですが、それゆえ後進国の権力者は終身在位を望むことになる。あるいは司法をも支配下に置こうとする。裏返せば、長期政権を制度的に保証しようとする権力者は、自国を後進化しようとしているのと同じです。

どんなポストも公的なものである限り、預かりものです。任期が終わればお返しする、自分が引き受けた時よりちょっぴりでも事態を好くしてお返しできればハッピー、というものでしょう。

恩師は初代の国文学研究資料館館長でしたが、晩年、「どういう風に退任するかだけを考えて勤めた」と述懐されました。私はその言を(恐れ多くも)自分の生涯の指針として聞きました。地方国立大学を辞める時も、私立女子大学から遷る時も、ひそかにその指針に悖らないかどうか検算しました。

かのユーラシア大国の大統領は、いつ、どうやって退陣する所存なのでしょう。65歳、そろそろ「年金生活に入る」ことをイメージしておくのに十分な時期でしょうが、本人はそう考えていないのでしょうね。総書記や国家主席世襲だと、気の毒だが逃げ場がありませんが、彼国の大統領職はそうではない。どうするのか。

弊国の元首相たちは望めば平和な隠居生活が保証されています。先進国たる所以です。