初心

北京五輪の開会式はTV中継で視る限り、なかなかのものでした。映像と集団プレイを縦横に組み合わせていて、東京五輪が内輪の人間関係に拘泥した、ちゃちなものにしか思えないほど。折しも立春の日でもあり、24節季の美しい映像は、十分に地球環境保全を主張していました(尤も、四季のない国では理解しにくかったかもしれない)。驚いたのは羽生結弦の映像があちこちに出てきたことで、凡人の私はえっ、どうして?と思ったのですが、彼国には熱烈な「柚子」ファン層があり、きっかけは、世界大会で同時に表彰台に上がった中国選手の持つ国旗のねじれを、彼が自然な仕草で直したことだった由。

フィギュア男子のSP戦をリアルタイムで視た人も多かったのではないでしょうか。4人4様の見応えがありました。短軀が他の選手に比べて不利なことを少しも感じさせずに舞う人、未だ思春期の恐い物知らずでリンクを駆け回る人、一度はスランプに沈みながらも復活してきた大学院生。

羽生の強みは、振り付けのドラマ性にもあり、技術を見せつけるだけでなく優美な舞踊劇を創出している点でしょう。しかし今回、思いがけない事故の後の彼の言動に、私はまさしく「勇気と感動」を貰いました。五輪3連覇なんてちいさい、ちいさい。彼が目ざしたのは新たな技を生み出すこと、衆目の中で、限界に挑戦することだったのです。未だ終わっていない、終わる所存はない―あるいは事故が却って、彼の背中を押したかもしれません。実況中継のアナウンサーは幾分涙声でした。翌朝の新聞にはこんな物語が載っていましたーこの競技が好きで、自信があることに素直でいられた頃、スケートを始めた頃の自分自身から叱られながら戦っている、負けるわけにはいかない、と。

思わず自分の仕事を振り返りました。