226の兵士

42年前、公立高校には専任の用務員がいて、教員が出校するとお茶を出してくれました。2校目で赴任した定時制高校の用務員さんは、剣道七段という男性でしたが、二・二六事件の一兵卒だったと名乗り、いま生存者たちと共に、記念碑建立に奔走している、とお茶を出しながら話すので、それはいいですねと相槌を打ちました。

その後、何かと話をしたいそぶりを見せるので、ある日お茶を受け取りながら振り向くと、問わず語りにこう言うのですー結婚して1週間で妻が交通事故に遭い、爾来30年、夫婦のことが無い、このつらさ、分かりますか先生。かっとしました。そもそも定時制は、生徒と接触する機会が短時間なので、猛烈に忙しいのです。夕方とはいえ職場の机に着いて早々、そんな話を聞いているひまはない。それに(私も未だ30代だったので)若い女性だから言ってみたという感じがありありでした。思わず私の口からは、分かりませんよ!という返事が出ました。そしてこう続けました―人間、誰でも人生の核になる悲しみがあるもので、それは、一生黙って、胸にしまっておくものです。

翌日、彼が私にお茶を出す手は、震えていました。私は気づかないふりで、御礼を言って受け取りました。後日、養護教諭から聞いたところでは、彼は新任の若い女性教諭にはみんなに、その身の上話を持ちかけるのだそうです。若い時はアル中になりかけて、学校医に叱られたこともあったらしい。

私はまもなく短大へ転出しましたが、その後彼は、無事に定年まで勤め上げ、老後は子供相手の剣道道場を開いたと噂に聞きました。その当時の定時制には、朝鮮総督府に勤めていたという老教師などもいて、思えば多士済々でした。