こども庁ができたら

岡山で5歳の女児が虐待で殺された事件。私たちは何度こういう事件に、心臓を掴まれ、息の根を止められる思いを繰り返さなければならないのでしょうか。児童相談所接触しようとしたが、父親にはなかなか会えなかった、というお決まりの言い訳。すでにこのブログで2度も書いたことですが、家庭内は密室です。子供には逃げ場がない。今回の場合は、通って来る継父の暴力を実の母親が黙認し、近所から度々通報があったという、児相にとっても猶予する理由がないケースでしょう。

報道内容で知る限り継父がやっていた行為は、単なる保護遺棄や児童虐待という以上に、人間の尊厳を侵すものだったと思います。人道的犯罪であり、自らは手を下していないと言い張っている母親もまた、暴悪に寄り添って我が身の安寧を得ようとした点で共犯以外の何者でもありません。継父は精神治療が必要だし、実母は精神相談の後、自立可能な訓練が必要なのでは。

鳴り物入りで設立されたこども庁。何をするのかよく分からない組織ですが、まずは生まれてきた命を守ることが緊急の課題です。内密出産と、今回のような継子殺しは同一線上の問題だと思います。男の身勝手な弱者蔑視、受け身で、自立できない女の人生。それらが解消されない間は、これに似た悲劇は、密室内でまた起きるでしょう。

戦後、生活難のための親子心中が毎日のように報じられた時、よく言われたのは「親は無くても子は育つ」という諺でした。無頼派と呼ばれた作家たちの間では、「親はあっても子は育つ」という逆説的表現が好まれたこともありました。産み落とされれば、子には子の生存権がある。発足後半年以上経っても今度のような事件が繰り返されたなら、初代長官は辞表を出す覚悟でいて欲しい。