ロシア民謡

初めて本郷へ来たのは中学3年の時でした。当時は小石川の官舎に住んでいたので、都電を乗り継いで来たのだと思います。あの頃、雑誌にはペンフレンド欄があって、同世代、同性の友人を1人持つのが流行り、私は福島県相馬郡の女の子と文通していました。その子が修学旅行で東京へ来て、本郷の旅館に泊まるというので、逢いに行ったのです。2月頃で、夕方の僅かな時間、旅館で面会しました。手土産も何も持たず、独りで行ったのですが、先方はクラスメート10人近くと一緒でした。

たわいのないお喋りをした後、もう真っ暗になった本郷通りまで彼女たちが見送ってくれ、何となく別れ難かった私たちは、誰が言い出すともなく、ロシア民謡の「ともしび」(正確には作者がいるので民謡ではない)を合唱しました。その当時、うたごえ運動やダークダックスがよく歌って、中学生から大学生年代までの愛好歌でした。彼女たちはコーラス部だったので、夜の本郷通りいっぱいに熱唱が響きました。

その後どちらからともなく文通が絶え、東北大震災の時心配はしましたが、彼女の消息を知るすべはありませんでした。思えばあの歌はロシア版防人歌だったのですが、「カチューシャ」と共に、当時の日本人の心を捉える響きを持っていました。政治的なうたごえ運動に関係なく、ロシア歌謡を愛唱した世代があったのです。偉大なるロシア文学にも、管弦楽にも、私やそのちょっと上の世代は、深い親近感を持っています。長編小説を読破して厳しい自然の描写に魅せられ、短編や戯曲から人生を教えられました。

その後ペレストロイカの時代、ソ連崩壊を経て、いま長期独裁、拡大主義政策を執るロシアを見ているのは悲しく、つらい。共産主義への賛否と関係なく、ロシアは私たちの青春の国でもあったからです。