3月9日

昨日、台所仕事をしながら片耳で聞いていたら、赤木訴訟は国が請求を受け入れて終結した、とのニュースが飛び込んできて、えっ、どうしてそうなるの、と慌ててTVの前に駆けつけました。被告である国が、原告の請求する額の賠償金を支払う手続きを執り(認諾というらしい)、大阪地裁は手続きに不備がないことを認め、訴訟はこれで終わったというのです。

財務大臣の記者会見では、「決裁文書改竄という重大な行為」が赤木さんの死に関係があったことを認め、弔意を表してはいましたが、しかし森友問題の本質(権限のない人が国の経理に口を出し、財務省が事を大きくし、真面目な1公務員に悪事の実行を押しつけて、全く責任を取っていない)は、回避されてしまったとの感は拭えません。遺された妻が勇気と知恵を絞って起こした訴訟だったのにーふと涙が出そうになりました。くやしい。日本の政治、日本の「公」は、こんなにも低水準になってしまったのか。

恐らく新政権は、今が幕の引き時、これが最大の譲歩(温情)と考えたのでしょうが、妻の側からは惨敗です。第一、ついさっきまで訴訟で争っていたのに、急転直下賠償責任を認めたのは何故か、私たちには説明を受ける権利があるはず。法律には殆ど無知なので、何を、どこへ、いつ開示請求すればいいのか分かりませんが、一晩で主張が逆転したのなら、賠償金の財源を出す国民に対して、その過程を説明して欲しい。

詳しい報道を読んだら、赤木さんの遺族は未だほかにも訴訟を起こしていることが分かりました。同じような煮え湯を飲まされる結果になるのかもしれませんが、それが済むまでは、私たちは3月9日(赤木さんの命日)を忘れずにいます。それでも負けたら?立花隆はもういないけど、崔杼の所行を書き留める史官は、現代にもいるはずです。