『台記』久安六年

原水民樹著『『台記』注釈  久安六年』(和泉書院)という本が出ました。『台記』は保元の乱で敗れて死んだ藤原頼長の日記。武者の世の始まりとなった保元の乱の背景を知るだけでなく、悪左府と呼ばれた、強烈な個性の男性貴族の赤裸々な生活を知ることができる漢文日記です。この時期の歴史学、『保元物語』の注釈研究などでは必ず参照される史料であるにも拘わらず、本文提供は現代の水準を満たしていない、校訂が不十分な史料大成本が未だに通用している、と原水さんは言います。その機運を促すためにまず、久寿2年と久安6年の注釈を個人でやってみた、とのこと。

架蔵写本の久安6年分を十数種の伝本を以て校訂し、書き下し文、語注、人物解説、原文を掲載したと凡例にあります。語注は1回しか出ない語を訓読文の後に、複数回出る語は歴史的仮名遣いによる五十音順にまとめて掲出(読者としてはちょっとまごつく)、人物解説は実名の頭文字の音読み五十音順で配列してあります。冒頭に頼長の生涯を簡潔に述べた解説があり、全398頁、活字が大きいのが年寄りには嬉しい。

久安6年(1150)は、頼長が養女多子を入内・立后させ、父藤原忠実は、嫡男忠通から次男頼長へ摂政を譲らせようとしたが叶わず、ついに氏長者の象徴である朱器等を倉から奪取して頼長に与えるという事件が起こった年です。できれば保元の乱前夜の久寿2年も、収載して欲しかったと思います。愛犬と悠々自適のように見える原水さんの勇気と根気に、頭が下がる気がしました。

漢文日記を訓み下してみる、という作業は重要です。漢文のままおよそ意味は把握できている心算で使っていても、じつは誤読しているかもしれません。日記の専門家松薗斉さんから、どうして訓読史料は使われないのか、と問い合わせられたばかりでした。