漢文日記の現代語訳

松薗斉さんの「漢文日記の現代語訳をめぐって・ノート」(「愛知学院大学文学部紀要」51)を読みました。ここ40年ばかりの間に古記録を使った研究が進展し、より広い範囲の人々が漢文日記に興味を持つようになったので、漢文日記を訓読文だけでなく現代語訳や地図や図版などを付して通読しやすくして公刊すべきだ、それも抄訳でなく全巻を、入手しやすい価格で、との主張です。

漢文日記の研究史を概観し、訓読・注釈を付した翻刻から現代語訳、さらに外国語訳の主なものを挙げ、『小右記』『権記』『明月記』『看聞日記』については現代語訳の例と松薗試訳とを並記して、問題点を指摘しています。最後に堀田善衛の『定家明月記私抄』を引き、現代語訳によって多くの人が漢文日記を知るようにするのも専門家の責務ではないか、将来的には公開DBとして利用できるのが望ましい、と結びます。

日記の専門家である松薗さんだから言えることだなあ、と思いました。かつて先輩から、真名本や漢文史料は必ず書き下しにして引くべきだ、自分がどう読んでいるか(正しく読めているか)を明らかにして論じなければいけない、と言われつつも、たいてい訓点を付すか、大意を記すというやり方をしてきました。雑誌論文では分量の関係もあり、また日本漢文くらい専門家同士なら読めるはずだという気もあり、さらに細部の訓読には自信の持てない場合もあったからです。

ここに提案されているような校本+訓読・全訳が広く公開されれば、その恩恵は測り知れませんが、しかし一体、誰がやるんだ!誤った校訂本文や現代語訳が普及し、それに乗っかった論が横行しだしたら、厄介です。現に、訳文には人によってかなり相違がある(つまり解釈が違う)。研究にはやはり原文、+訓読文くらいまでが妥当なのでは。