軽石

小笠原諸島の海底火山が爆発して、夥しい量の軽石奄美・沖縄まで流れ着き、島の生活や漁業、原発にも支障が出ているという報道に吃驚しています。小笠原諸島って、たしか東京の沖合じゃなかったっけ、それがどうして、まず奄美・沖縄に被害をもたらし、3ヶ月近く経って関東の海岸に到達するのか、とネットで地図を確かめました。

爆発した福徳岡ノ場という海底火山は、都心からは1000km以上も離れた洋上、海流の具合で漂流軽石はまず南へ運ばれ、Uターンして北上するのだそうです。今までこんな災害は聞いたことがないな、と思いましたが、1959年9月にやはり東京都の沖合で、明神礁と名付けられた海底火山の大規模な爆発があり、新聞紙面には連日のように海のただ中から噴煙が揚がる写真が載ったことを思い出しました。あの時は最初の観測船が連絡を絶ち、後日遭難したらしい証跡が見つかったことも衝撃的でした。

海底火山という語にはロマンチックな響きがあり、中学3年だった私は限られた関心でしか新聞報道を見ていませんでしたし、今回のような軽石被害の報道はありませんでした。鹿児島県鬼界島の港の被害が報じられて、十数年前に故千明守さんや院生と共に俊寛伝説を訪ねた時の記憶が蘇り、お見舞いを申し上げたいような気持ちです。火山からは1200kmも離れているというのに、自然の力、海洋の能力は人間の想像を超えます。

プラスチックごみの海洋流出が問題になっていますが、自然災害にもこういう場合があるのだと知って、複雑な思いです。拾った軽石でしょうか、メルカリに出品する人がいるというのも今どきらしいが、能天気な話。砕いた軽石は、鹿沼土のような利用法もあり、古代にはローマンコンクリートの骨材にも使われたそうで、これから回収法、利用法が工夫され、技術開発されて応用されていくことでしょう。