続・美しい誤解

同志社女子大学総合文化研究所紀要38を頂いたので、関心の持てる論を読んでみました。さすが京都、と思った論文は「京都における写真観光による地域活性化」(天野太郎・上中愛奈)で、八坂庚申堂がいま人気沸騰だということ、それが時勢に合った観光スポット誕生の劇的な一例だった、ということを初めて知りました。観光立国は危うい政策だと、コロナのおかげでつくづく考えさせられた時期だったので、印象に残りました。

朱捷さんの「反訓にみる「相反相因」について」は、十分理解できたかどうか自信がありませんが、ちょうど営々と語注や部分訳の作業をしているところで、一つの語(字)の中に相反する意味が含まれる場合があるのは何故か、というテーマに興味を惹かれました。助動詞や形容詞などを考える時にも似たような問題がある。朱さんは漢字造字法の法則によって、正反両義が相対しながらも本源では一つ、という場合に生じた転注と仮借の一形態と考えています。

諸井克美さんの「もう1つの動物園ー御誕生寺で気儘に暮らすねこたちー」には蒙を啓かれました。犬猫の殺処分は動物愛護法の引取義務規定によって合法化されたこと、現在殺処分頭数は猫が圧倒的に多く、2018年度3万頭を超えていること、このことは人間社会との共生を許容されているのは飼猫だけであることを意味し、また猫特有のウィルス感染を防ぐには室内飼育が必要なこと、ペットフード協会の調査では、室内のみの飼育は犬27.4%、猫79.6%であること等々です。平安時代の室内飼育から、近代の半野良飼育を経て、日本の猫たちの境涯は変わりつつあるらしい。自由で冷静な生き物、という私の猫観は、もはや(美しい)誤解でしかないのか!残念な気がします。そこには、猫の生き方にかすかな憧れを籠めていた自分がいるからです。