専守防衛で

台風一過晴れ上がり、暑さが戻ってきて、薄い葉のコリウスは朝からよれよれに萎れていました。コキアの茎が赤くなり始め、パプリカの白い花が点々と、地上の星のように落ちています。久しぶりに印度の壺に水を張りました。木犀や彼岸花は、全国的に例年より早咲きしているらしい。9月が慌ただしく過ぎていこうとしています。

11日は米国の貿易センター襲撃事件から20年目でした。私はあの日、夜遅くのニュース画面でその瞬間を視ました。何の躊躇いもなく、高層ビルに突き刺さるように真っ直ぐ進んで行く航空機を見て私がまず思ったのは、その憎悪の大きさでした。あんなに憎まれる国に依存していてはいけない、とつよく思いました。その思いはいま回顧しても、巨大な質量を持ったものでした。身体をも衝き動かす、信念に近いものです。

その後さまざまな映像が報じられましたが、ビルから飛び降りる人影が降るように空に映る画面は、トラウマになりました。暫くは、落花の画面も見られませんでした。彼らの冥福を祈る言葉すら、持ち合わせがありません。しかし私には、6万数千人の米国人と共にその何倍かのアフガン人の人影も、空を漂っている気がするのです。誤爆だった、と謝られても、夫も子も帰っては来ません。他人の土地で血を流してはいけない、どんな理由があっても。

勇ましい言葉、抽象的且つ神秘的な言葉を政治家に使わせたくない、と思います。国民を奪還する権限を自衛隊に与える立法を、という所信を聞いた時は耳を疑いました。奪還しに行く先の国家主権をどう考えているのか。そのために外交交渉に苦労してきたのではないか。腕力が強ければ負けない、というわけではない。勝ち負けを考えずに済む日々をこそ、庶民は望んでいます。