刺さらない

アメリカ文学専門の友人に、バイデンの英語はどう?と訊いてみました。米国留学経験のある彼女は、口頭英語の品格と政治家の評価とを一体のものとして把握しているからです。答えは「刺さらない」でした。尤も前任者が刺さりすぎる、いやどやしつけるような英語だったから、とも付け加えましたが、弊国の第一野党の言葉がやっぱり刺さらないね、という話になりました。私も同感です。

「文春」12月号の巻頭随筆に岡田憲治さんが、「枝野話法はなぜ響かないのか」というコラムを書いています。民主政治の基本的力学は、「感じのいい人なら協力しよう」という「ゆるい結びつき」だから、必ず相手の発言の否定から入る「枝野話法」では仲間を集められない、と岡田さんは言います。これは、議論で仕事の突破口を開けようとしがちな私にも耳が痛かったのですが、まずは「そうなんです!それなんです!」と言ってから自説を述べよ、という提言には、なるほどと思いました(私は研究者で、政治家ではないので、その方法は採りません。第一、毎度その話法では胡散臭い)。

今回の総選挙で、野党は「及ばなかった」のではなく、「注意された」と受け止めるべきだと思います。立党時には、数合わせはしない、と明言していたのに、今回は説明もなく共闘に走った。実情を無視していきなり政権交代を呼びかけていた。この30日の代表選挙に向けて、「もう一度」とか「政権選択」とかの言葉を使っている候補者もいますが、足元を見るべきでしょう。いまは一歩一歩、坂を登る時期です。

国会を開いてくれない、審議に応じてくれない、解散前の国会内記者会見は連日、そういう話しか聞けませんでした。くれない族という語を知っていますか?かつての政権党ではなく、離合集散の激しい野党としての今後の進路を、はっきり語って欲しい。