回想的長門本平家物語研究史(3)

昭和45年(1970)夏、突然金井清光さんから「鳥取大学教育学部研究報告」の抜刷が送られてきました。私は当時、大学院の修士課程3年目(入学直後に東大紛争が始まり、授業も図書館もずっと異常な状態で、もう後のない3年目でした)で修論の構想に苦しんでいる最中。金井さんは先輩とはいえ、それまでは特におつきあいもなかったのですが、同封されていたのは、金井さんと砂川博さんの共著「長門本平家物語の一考察」の抜刷でした。砂川さんの卒論の要約だが、制度上、学生単独では掲載が認められないので連名にしたのだということでした。

その後も砂川さんは精力的に論文を発表し、昭和57年(1982)には『平家物語新考』(東京美術)を出し、その後も次々に単著を出しました。恩師の金井さんが芸能史、特に時衆の活動を専門としていたのを承け継いで、やや社会学寄りの視点からの管理者考が中心でした。金井さんからは時々お手紙を頂きましたが、大先輩であるにも関わらず丁寧な口調で接して下さるのが嬉しく、紳士だなあと尊敬しました。マイペースの人でしたが、先輩たちの間では、シベリア抑留からの生還者だということでひそかに一目置かれていました。

後に、金井さんが退職した鳥取大学の後任に公募で私が赴任すること(1986年)、金井さんが永積安明さんの後任で清泉女子大学に赴任したこと、そして私が國學院大學へ赴任した際の初仕事が、砂川さんが前年に提出していた学位請求の審査だったこと(2002年)は、当時誰も予測しなかったことでした。ときどき、この世には目に見えない縁、または因果応報というものが確かにある、と思うことがあります。

最近の砂川さんの仕事は、「時宗教学年報」49輯に載った、明智光秀の伝記です。