開会式

昨日の昼、轟音と共に軍用機が2度、我が家の上空を通過しました。2度目には白煙と共に1筋、赤い尾を引く機体も混じっていました。会場上空で五輪を描いた時は、気温が高いせいか、円になる前に半分くらいは消えてしまったようです。

夕食を摂りながら開会式のTV中継を視ました。印象に残ったものを3つ挙げると、まず1824台のドローンを操って空中に描いた、市松模様のエンブレムから地球儀に変わる球体。技術力の頂点を(制空権の万全も)見た感があります。面白かったのが、50のピクトグラムをパントマイムで表現したパフォーマンス。これはもうちょっと重要な位置に置いて、競技の紹介を兼ねてもよかったのでは。そして今朝の新聞報道を見てやっと意味を理解できたのが、コロナで最終予選が中止になったため出場権を逃した、看護師でもある女性ボクサーが、トレーニングを続けるパフォーマンスでした。もっときちんと説明して、スポットを当てても(組織委員長の挨拶をこれで換えても)よかったのでは。

総じて、膨大なCMの見本集成を見せられたような感じで、一々はそこそこ面白いかもしれないが、多すぎる。時間的にも長すぎる。3分の2くらいでよい。成田屋の「暫」を、即興ピアノ演奏と共に出したのは訳が分かりません。江戸の歴史と共に、代々成田屋の「睨み」は災厄落としと考えられてきたことを説明すべきでした(ちなみに木遣りと一緒に出たタップは、高下駄でやって欲しかった)。ここまでは、あくまで個人の感想です。

以下は根本的な疑問ー五輪憲章って何だ。国家元首に、決められた科白で開会宣言の義務を負わせる権限は何に基づいているのか。そもそも開催都市の契約を結んだのは、辞任した元都知事でした。たかが一スポーツ団体がどうして国家元首に指図でき、一国の首相がかの団体に向かって、国民の命を守るための交渉が出来なかったりするのか。