この世界の片隅で

終日暗い、雨もよいの日が続きます。今年は梅雨入りが早く、いろいろ手順が狂いました。ロベリアが伸びすぎ、ビオラとの植え替えが間に合いません。惜しまず摘んで、室内に活けることにしました。さすがにビオラもどんどん花が小さくなり、草丈が伸び、曲がりくねって咲いています。洗面台にはスワロフスキーのグラスに、つかみ挿しといった案配で活けました。鏡台の前には、ウィスキーのミニボトルに、菫の葉と一緒に2輪挿しました。なかなか思う方向を向いてくれない葉と花が、面白い曲線を演出しています。

食卓には小さな盆にきさごの貝殻を3つ置き、直径8mmくらいの花をつけたビオラや、アリッサムやロベリアを挿しました。箱庭のようです。コロナでステイホームを心がけている間に、だんだん外出が億劫になり、買い物も最少限度になりました。生活が縮小して、食べることだけが楽しみ、みたいになってきたのです。これはいけない。

コロナが終わったらという約束を、一体幾つ作ったことでしょう。最近の世相を見ていると、太平洋戦争へ入って行った時代が幻視されるような気がします。このまま行けば何とかなる、と思い込むお上、ついていけば何とかして貰える、非常時につべこべ言うな、と牽制し合う民。日本人は、あの戦争から学んでいないのではないか。危機管理とは最悪の事態を予測し、そうならないための対策を打つこと、今の政府のやり方はその逆だ、と元自衛隊幹部がぼやいたという話に、思わず納得してしまいました。何が最優先かーアスリートが可哀想、よりも限界を超えて頑張っている医療従事者を守ること、五輪開催よりも感染拡大を(治療法ができるまで)抑え込むこと、ではないのか。

晴れ間があったら、ムスカリの球根を掘り上げて、干しておかなくっちゃ。あの戦争のさなかにも、この世界の片隅で、そういう日常がありました。