関西軍記の会第100回

午前中はマンション管理組合の総会、緊急事態宣言のため借りていた会議室が使えなくなったとかで、マンション内の回廊で開かれました。入居当初は、中堅の社会人であるはずの世代から呆れるような発言が続発して憂鬱だったのですが、人間関係は落ち着いてきたものの、今度は設備の経年劣化が目立つようになり、そういう議事が多くなりました。我が家はマンション暮らし歴半世紀以上なので、自ずから経験知が多いことを隠さないことにし、話題が迷走する前に意見を言うようにしています。

昼からはオンラインによる関西軍記の会。100回目の例会だそうです。これまでで最もスムーズに入れたZoomでした。発表資料を予習して、必要な箇所だけプリントすることもできました。

発表は『太平記』2本。大坪 亮介さんの「『太平記光厳法皇行脚記事における典拠未詳対句をめぐって」は、光厳院が西国行脚の途中、難波浦の風景を見て想起する対句(これまで典拠未詳とされてきた)は、観応2年(1351)頃に龍山徳見が詠んだ詩の一部であることを考証したもの。きっちり調べられていて手堅い発表でしたが、史実上で光厳院と龍山徳見とを結びつける前に、和歌と詩とを組み合わせて語り手が言おうとしていることを、もっと深く追いかけて欲しいと思いました。

北村昌幸さんの「物語にみる公家の処刑」は、軍記物語や史料から死刑の記述を拾い出して、武力行使者が死刑に処せられる場合は「斬る」「首を刎ねる」という表現が用いられるが、公家や幼児には「失ふ」「斬り手後ろへ廻るかと思へば首は前に落ちにけり」といった、痛みのない記述が多い、使い分けがあるらしい、という内容。あちこち破れ目があるものの、いろいろな問題に発展させられそうな、面白い発表でした。