源平の人々に出会う旅 第49回「高雄・六代と文覚」

 元暦2年(1185)の壇の浦合戦後、頼朝は都に北条時政を派遣して、叔父の義憲・行家を粛清すると同時に、平家の血を引く男子を探し出し、次々と殺害していきます。そして、平家の嫡流・維盛の子である六代御前も発見されてしまいます。

神護寺楼門】
 維盛の妻子達は、大覚寺付近の菖蒲谷に隠棲していましたが、時政が現れ六代を連れ去ってしまいます。これを嘆いた乳母は、高雄に住む文覚上人を訪ね、助けを求めます。文覚は時政と対面して、六代の処刑を二十日延期するよう言い残し鎌倉へ旅立ちます。

f:id:mamedlit:20210204102927j:plain

 

神護寺金堂】
 文覚は、流人時代の頼朝に挙兵を勧めた怪僧ですが、高雄の神護寺再興に力を注いでいました。神護寺和気清麻呂建立の寺で、紅葉の名所として知られています。

f:id:mamedlit:20210204103026j:plain


【栂尾山 高山寺
 神護寺にほど近い栂尾(とがのお)には、文覚の弟子であった明恵上人が再興した高山寺があります。『鳥獣人物戯画』を所蔵する寺としても有名です。『平家物語』は、後鳥羽院承久の乱を起こしたのは文覚の亡霊のしわざと記しますが、延慶本には、明恵の夢に文覚の霊が現れ、謀反のための廻文を書く紙を用意して欲しいと語ったため、文覚の墓の前で用意した紙を焼き上げたという記述もあります。

f:id:mamedlit:20210204103146j:plain


〈交通〉
京都駅より高雄方面行バス
        (伊藤悦子)