源平の人々に出会う旅 第53回「足利・足利氏」

 源平合戦には諸国の源氏が参加しましたが、その一つが足利氏です。足利氏の祖は八幡太郎義家の子義国で、その子に義康や新田氏の祖となる義重がいます。

【足利氏宅跡(鑁阿寺)】
 義康の子義兼は栃木県足利市を本拠地とし、現在の鑁阿寺に居館があったとされています。早い段階から頼朝に従っており、覚一本『平家物語』では、範頼軍として藤戸合戦に参加しています。また、弟の矢田義清上野国矢田郷(群馬県高崎市)を本拠地とし、義仲に従いました。

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【法玄寺】
 義兼の妻北条明子(政子の姉妹)は、足利又太郎忠綱との密通が疑われて自害したという伝説があります。忠綱は秀郷流藤原氏で、足利に居住していました。法玄寺は、明子の菩提を弔うために、子の義純が建立したと伝わります。

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【逆さ藤天神】
 逆さ藤天神は、嫌疑をかけられた忠綱が天神に祈誓し、その際、鞭として使った藤の枝が逆さに根付いたと伝わっています。『平家物語』では、忠綱は橋合戦の際に平家方として源頼政軍と戦い、馬筏を作って宇治川を渡っています。

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〈交通〉
JR両毛線足利駅
    (伊藤悦子)