師走の音

以前住んでいた世田谷の家は、駐車場を隔てた向かい側に米屋があり、12月の今頃は朝から1日中、桶や蒸籠を洗っては干す時の、木のぶつかる音が聞こえました。賃餅で忙しかったのです。ここへ越してからもう16年経つのに、師走になると、その音が空耳で聞こえるような気さえします。越して来た最初の頃は、近くの魚屋が正月用の小鯛を焼く匂いが、終日漂っていました。尾を跳ね上げた形に塩を振って、堅く焼き締める祝儀物です。しかしここ数年は、もうやめたようです。

エノキさんと、今年は街が師走らしくならないね、という話をしました。今日、ケンタッキーの前に行列ができているのが不思議だったけど、チーズがどんどん売れているのを見て、イブだ、とはっと気づきました、とのこと。いつも12月に入ると途端に街が師走らしくなるのに、どこが違うんだろう、と言い合いました。まずクリスマスデコレーションが、(あるけど)少なくて簡素だから。クリスマスソングが流れていないから。街の人出は減っていないしせわしそうだけど、うきうき感がない。

エノキさんは記憶がないでしょうが、31年前の師走を思い出しました。冬休みに帰京したら、街は異様に無言でした。数日に1回、夜の街をけたたましいサイレンと共に日赤の車が走り抜けました。皇居へ輸血を運んでいるのだ、とみんな知っていましたが口には出しませんでした。元号が変わってから聞いた話では、丸ノ内のオフィスではショウウィンドウを暗幕で覆ったり、社員はいつでも間に合うように喪章を用意したりしていた、とのことでした。昭和が終わろうとしていた年の暮です。

今年はそれとはやや違いますが、でも時代は変わる、という予感がどこかにあります。来年の暮はどんな音や匂いが、街に流れているでしょうか。