元暦2年(1185)2月、讃岐国屋島で勝利した義経軍は、同国志度合戦の後、周防国(山口県)へ向かい範頼軍と合流します。
【闘鶏神社】
熊野別当湛増は、田辺の新熊野(闘鶏神社)において、源平どちらの味方につくべきかを占います。治承4年(1180)、以仁王の挙兵の際、以仁王は新宮十郎行家に令旨を託しますが、そのことを平家に通報したのが湛増でした。
【湛増・弁慶の像】
託宣では白旗(源氏)につけと告げられますが、疑った湛増が白鶏と赤鶏を戦わせると、白鶏が勝利しました。それによって湛増は源氏についたのです。湛増は平家の忠臣でしたが、読本系『平家物語』によると、頼朝の「姨(おば)婿」であるとされます。なお、伝説では武蔵坊弁慶の父ともされています。
【弁慶の湯】
和歌山県の観光名所である三段壁(白浜町)の近くには、弁慶の湯が湧き出しています。田辺市周辺には、「弁慶産湯の井戸」や湛増率いる「熊野水軍出陣の地」碑など、弁慶や湛増の伝説地が点在しています。