徳島の原水さんから、あずり越え(国土地理院の登録名称は「あづり越え」ですが、地元では新仮名遣で表記するようです)の写真が送られてきました。
【義経は上陸後、屋島へ向かうのに恥ずかし越えを経由し、さらにあずり越えを通過したとの伝えがあります。あずり越えは、昔の遍路道でもありました。その峻険さを目にすると、札所巡りとは、口減らし・行き倒れを目的とした姥捨てだとの俗説が真実味を帯びてきます。陸地の補陀落渡海、とでもいうことでしょうか。
なお、恥ずかし越えの地名については、女が若い愛人に会いに行くのを見とがめられ恥ずかしいと言ったとか、「はつかの越え」が転訛したとか、義経と結びつけない由来説もあるようです。(原水民樹)】
あずり越えは標高115m、十八番札所恩山寺へ向かう遍路道です。調べてみると、明治以前は「阿津伊地越」、「安土越」とも呼ばれていたそうで、「あずる」という動詞があり、苦心する、頑張る、といった意味だったらしい。語源は「足摺」に由来するとの説もあるらしく、興味を惹かれました。
なるほど入り口から見るだけでも、「ポツンと一軒家」に出てくるような心細い山道ですが、よく見ると路肩に篠竹が茂っていて、いかにも武士が矢柄に使いそうな、中世の雰囲気が感じられます。
前にも紹介しましたが、義経が嵐を衝いて阿波国に上陸してから、夜を徹して平家の屋島内裏へ駆けつけるルートには、謎が多い。地元では、さまざまな伝説が生まれるのに相応しかったのでしょう。