軍記物談話会抄史(5)

昭和45年1月まで、公衆電話の通話料は1回¥10でした(葉書は¥5だった)。気心の知れた女友達の間で長電話して、愚痴を言い合ったりはしましたが、目上から電話がかかれば緊張して受けた時代です。

私の世代が軍記物談話会の運営に関わるようになり、例会が終わって帰宅後、かの女性先輩(もう役員ではなかった)から、恐怖の長電話がかかるようになりました。「よく聞いてなかったけど」という前置きで、「あんな発表、駄目ですよ」になり、研究者や同窓の誰彼、延いては指導教授の噂になり、とうていお相手できない内容のこともありました。「○○さんも言ってますよ」と付け加えられることも屡々。会の運営や学界への批評らしいのですが、ではどうせよと言われているのか、とんと判らないのです。いわば嬉々として批判、否定、もしくは不定愁訴としか理解できませんでした。

ある年、地方で中世文学会の大会が行われた時(当時は、地方での学会参加の宿は、大会事務局が手配、指定した)、私は彼女とその同世代の数人が集まった部屋に呼び出され、午前2時過ぎまで延々と「嬉々とした不定愁訴」を聞かされました。相部屋の人にも迷惑なので早く出たかったのですが、私からは退出を言い出せません。宿中で評判になったらしく、翌朝、異分野の兄弟子から、それとなく慰められました。

長電話はやまず、機関誌に若手が投稿したことを批判された際、私は面倒見が足りないと言われているのかと勘違いして、筆者に添削や助言をしたのですが、要するに載せるなということだったらしい。他の若手の口頭発表についても似たようなことがあり、とうとう私は、「会員には失敗する権利もある」「批評は会の場で仰言って下さい」と言い返しました。○○さんにも「御意見があれば直接私に言って下さい」と直撃しました。