語文論叢35

谷口耕一さんの「湯浅党と渡辺党・文覚との姻戚関係について―湯浅権守宗重とその周辺(4)―」(「語文論叢」千葉大文学部日本文化学会 第35号)を読みました。谷口さんは、鎌倉幕府とその周辺の人物を粘り強く調べて、『平家物語』の背景にある人脈を照らし出す論文を書き続けています(科研報告書など入手しにくいものに書いた場合も多いので、いずれは1冊にまとめて欲しい)。

湯浅党は紀州の地方武士団(鎌倉幕府内の位置づけは住国家人)でありながら、また治承寿永の乱の帰趨がほぼ決定してから頼朝配下となったにも関わらず、幕府の中枢と太いパイプで結ばれ、分不相応な義務も負わされていたのは何故か、『平家物語』でも好意的に描かれているのはそのことと関係があるか、という問いを立て、湯浅氏系図明恵上人資料、頼朝関係文書などを参照しつつ、文覚の姉が湯浅宗重の妻となり、明恵の母や文覚の弟子上覚(浄覚)を産んだのであろう、その姻戚関係が幕府内での位置づけに影響したのだと推定しています。『吾妻鏡』を見ると、頼朝がいかに文覚を重用したかが分かり、読み本系『平家物語』にはその面影が残っていますが、谷口さんは、文覚が属した渡辺党と湯浅党とは、水運業と木材供給との経済的結びつきから親しくなったものと見ています。なるほど、と納得しました(なお一般論ですが、系図を利用した研究を読んでいつも不安なのは、資料としての信憑性、書写段階での厳密性の検証です)。

本誌には林茉奈さんの「絵入り版本『曽我物語』考―挿絵に描かれる頼朝と曾我兄弟を中心にー」という意欲作も載っており、版本挿絵の中の頼朝の権威化、曾我兄弟の勇者化を指摘しています。好論ですが、いまひとつ、論文の文章では日常語的な曖昧さを排し、彫りの深い表現に習熟して欲しい、と思いました。