山城便り・牧水篇

京都郊外に住む錦織勤さんと、今夏は暑さが続いて、麦酒がやめられないね、というやりとりをしました。錦織さんは痛風の経験があるので、麦酒はおっかなびっくりで呑んでいるようです。私の方は、朝の家事が一通り終わったら1杯の珈琲片手に机に向かい、猛暑と格闘した1日が暮れたら、とにかく水を浴びて麦酒1杯のために腰を下ろす、というメリハリは(胃には悪くても)崩せません。

ようやく涼風が立ち、かすかながらも秋虫が鳴き、これから月が大きくなり始めると、牧水の歌が思い出されますね、とメールしたら、こんな返信が来ました。

[痛風の薬を飲んでいた時、医者から「1日5勺、ということにはできませんか」と言われ、少し努力してみましたが、それほどの自制心はないことがよく分かりました。

今は、最初に燗酒で1合飲んだ後、もうちょっと欲しくなり、その「もうちょっと」は冷酒で飲んでいます。そうなると、もうそこで1日の終わりです。

酒を飲みたくて生きているわけでもないのに、私も「かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ」です。(錦織勤)]

錦織さんは、酒は京丹後の蔵元から取り寄せた銘柄に決めているそうで、陶器にも詳しい。あんまり蘊蓄の多い人は付き合いにくいが、酒や器物に全くこだわりのない人物も寂しい気がします。日本酒はやはり、酒器や皿小鉢のセンスと共に呑むもの。卓上の美意識、季節感、手に持つときの肌触りが大事です。

私がほのめかした歌は、「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」だったのですが・・・10代に愛読した牧水歌集を本棚の奥から探し出しました。ところどころ、思いがけない歌にしるしをつけていて、小さな驚きがあります。