災害を記すこと

木下華子さんの「災害を記すことー『方丈記』「元暦の大地震」について」(「日本文学研究ジャーナル」13 特集「記憶と忘却」)という論文を読みました。『方丈記』はいわゆる5大災厄(安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震)の中、大地震についてのみ元号を記さず、養和から5年近く経っているにも拘わらず、「又、同ジコロトカヨ」と年代を朧化しています。この点ははやくから注目されたようで、『方丈記』後発の本文ではわざわざ年時を記すものもあります。

なぜ鴨長明は、ここで元暦という年号を記さなかったのか。この問題については従来もさまざまに論じられてきましたが、木下さんは史料を参照しつつ、当時の人々は源平争乱を「治承寿永の内乱」ではなく「寿永元暦」の年号で語っており、「元暦」は、壇ノ浦での平家滅亡による画期を意味する年号として記憶されていた、と説きます。長明は元暦の語を用いず、時間を朧化することによって、源平合戦や平家滅亡の記憶を、作品から遠ざけたのだというのです。

さらに、史料によれば当時の人々は元暦の大地震について記述する際、地震発生の理由(因果論による政治的背景)を求めようとすることが多かったが、長明は忘却を装いながら、平家滅亡という個別の物語を地震から切り離して、家居の記の形式を守り、災害下での人と栖の無常という、普遍的テーマの要件を整えたのだと結んでいます。

大いに説得されました。「元暦」という年号が画期を表す一種のシンボルとして用いられていた、という指摘は軍記物語研究にも重要です。木下さんは、「遁世者と乱世」(『乱世を語りつぐ』軍記物語講座4しおり 花鳥社)というコラムも書いていて(花鳥社公式サイトにも掲載)、その続編として併せ読むことをお奨めします。