最愛の女性

永井晋さんは『源頼政木曽義仲ー勝者になれなかった源氏』(中公新書 2015)の中で、義仲が最後の合戦の前に松殿(藤原基房)の姫君の許で時を潰し、部下が自決して諫める話を取り上げ、義仲は権門の女性を正室に求めてこの姫君を見初めたとして、読み本系の『平家物語』によれば、「この姫君が、義仲が最期の日を共にしたかった最愛の女性である。」と言っています(p177)。

えっ、すると巴はどうなる?日本人の多くが、学校で習った「義仲最期」で、巴を我が身と切り離して戦場から追い出す場面に胸を打たれた筈。益田勝実さんが、「泣くと分かっていて、ハンカチを握りしめて映画館に入るような」気持ちで読むと言った、あの名場面です。永井さんはp178で「妻巴」を「本国に最後の状況を伝える使者に選んだ」と言っており、読み本系『平家物語』は姫君との別れに逡巡する場面が詳しく、語り本系は巴との別れが詳しい、「愛する女性から離れることのできない生身」と、「最期の場面で妻を落とした」義仲という人物造型の違いがあるとして、その差を読み本系と語り物系の違いに起因させています。

もしそうなら、読み本系の義仲像のイメージも、読み本系と語り本系との志向の相違も新たな論点が生じることになる。調べてみました。

永井さんが見た「読み本系平家物語」とは、いったい何でしょう?源平盛衰記では両場面とも詳しい。延慶本では松殿の姫君の場面は詳しくない。そもそも巴は「妻」とは書かれていない。盛衰記では郷里に妻子がいることになっている。

困るよ!『平家物語』を詳しく見比べたかのように書かれては。まして読みと語りの相違だなんて。九仞の功を一簣に欠く、というのがこれ。