平家語りQ&A

6/10の芸能史研究会シンポジウムでの基調講演「平家物語諸本の展開と平家語り」について、メールで質問が寄せられましたので、応答の要点を紹介しておきます。

Q1①配付資料の「年表」について確認したいことがあります。「1320年以後、『源平盛衰記』片仮名交じり本文存在」となっていますが、その根拠は?長門切の発見と関係があるのでしょうか。「1320年以後」というのは、覚一本より早いということでしょうか。

読み本系諸本の享受の仕方ですが、黙読とは別の太平記読みのようなものもあったのでしょうか。(ワイジャンティ・セリンジャー)

A1:①については拙著『軍記物語論究』p426以下をご覧下さい。

元応2年(1320)9月7日付文書の紙背に片仮名書きの源平盛衰記の本文の一部が書かれています。それゆえ「1320年以後、片仮名交じり本文存在」としましたが、長門切の年代判定が1200年代末となれば、幅を持って推測しなければなりません。紙背の年代ですので、「以後」には1371年(応安4年)以降も含まれます。 

②読み本系諸本の享受については、具体的な資料はありませんし、読み本系の各々によっても異なるでしょうが、音読・黙読が中心で、太平記読みのような芸能は想定されていません。渥美かをる氏は、絵解を想定されましたが、部分的にはともかく全体ではないでしょう。写本・版本いずれにせよ稀少品だったので、誰かが読み上げるのを聴く、特に貴人が誰かに読み上げさせ、関係者が囲んで聴くということはざらだったでしょう。(mamedlit)

Q2:大変勉強になりました。帰りの地下鉄のホームで、聴衆の1人が、「琵琶法師が『平家物語』を作ったと思っていたのに違うのだねえ」と話していたのが面白かったです。さて質問があります。

①原平家の成立を承久の乱以降とお考えのようですが(現在の通説)、私は、約半世紀の間に種々の諸本が成立し、さらに『保元物語』や『平治物語』との交渉も加えながら成立したと考えるには、余りにも時間がなさすぎると考えています。原態『平家物語』の成立が承久の乱以降であることは確かですが。

②当道座の成立はいつ頃とお考えなのでしょうか。当初いろいろな芸態を持っていた琵琶法師が、『平家物語』を初めとする物語を語るようになっていった理由の一つには、当道座の成立が大きく関わると思うのですが。(早川厚一

A2:①については、「原(態)平家物語」をどのようにイメージするかが鍵だと思います。また諸本展開のスピードは、段階・時代によって均等ではなかったでしょう。私は原平家から読み本系祖本への拡大までは速かったのではないかと考えています。保元平治物語との交流は、どの段階でお考えですか?

②については当日、ちらっと申し上げました。確実な資料はありませんが、やはり覚一が京洛で活躍する頃から組織が固まり始めたのではないでしょうか。当道座成立以後、琵琶法師の語りがどう変わったかについては、手がかりがありません。(mamedlit)

質問ではなく以下のような感想も頂きました。参加出来なくて残念だった、とのこと。

コメント:<語り>の機能については、もう少し勉強して理論的に踏み込んで申しておけばよかったと思っていますが、当時水原一さんから、延慶本について「同文繰り返しがある」と手紙をもらったまま、諸本論の激変期(古態本がひっくり返る時期に入ったばかり)でもあり、延慶本本文の手入力など恐ろしくて出来なかった。(村上學)