駆け引き

異文化接触を乗り越えて、中央政治に食い込んで行けたのが平忠盛だったとすれば、それに失敗した好漢が源義仲だと、『平家物語』を読んでいました。京都へ一番乗りしたものの、貴族社会とはかみ合わず、牛車の失敗、猫間中納言対応の失敗、鼓判官への無礼や法住寺合戦等々の連続する挿話(覚一本巻8)は、バーバリアン義仲像を描く笑い話として有名です。

しかし私は、義仲は地方の小集団の指導者としては抜群に人望のある人物だったろうと推測しました。以前にも書いたことがありますが、客が来ればまず食事を勧め、ざっくばらんに話しかける男は、膝つき合わせて飲食を共にし、日々山や谷を駆け巡って共に行動する、気心の知れた集団には相応しいリーダーです。「猫間」には、その習慣が京都の文化には合わず、ずれ続けていく悲劇が語られていると思っていました。

永井晋さんの『源頼政木曽義仲』(中公新書 2015)は、あちこちに新見が述べられた好著ですが、第5章の2「平氏追討をめぐる駆け引き」、3「法住寺合戦」によれば、なんと「猫間」も「鼓判官」も、都に慣れてきた義仲の、巧みな政治的駆け引きだったというのです。後白河院の使者としてやってきた両人に、用件が何であるか分かっていながら聞く意思のないことを、態度で示した、つまり用件を切り出させなかったのだという解釈。

さらに永井さんは、最後の合戦の前に、松殿の姫君の許でぐずぐずした義仲の最愛の女性はこの姫君だったと言うのですが、それはどうでしょうか。もし永井さんがこの挿話を事実とするなら、松殿関係者の人脈を借りて、後白河院との和平の最後の可能性を模索していたと読むべきでは。