特別な1年

秋山佐和子さんの第八歌集『豊旗雲』(砂子書房)を読みました。秋山さんは國學院大學の卒業生、岡野弘彦門下の歌人です。近代女性作家の評伝なども出し、歌誌「玉ゆら」の主宰者でもあります。本書は2013年晩秋、40年以上連れ添った夫から末期癌であることを告げられ、2014年11月に見送るまでの、特別な1年間の詠作458首を収載しています。

あとがきによれば、5年間は当時の詠歌ノートを開くことが出来ず、ようやくあの時は不器用ながら精一杯、夫の気持ちに向き合っていたことを確かめられるようになったとのことです。自分自身と歌とに正直でありたいと、破調の歌もそのままにした、三十一音で思いを述べると、心が立ち直り、歌の力と深い恩寵を感じた、ともあります。

私はただ、時代を超えて数多くの和歌を読んできた読者に過ぎませんが、韻文と散文との関係に関心を持ち続けてきました(持って来ざるを得なかった)。作者にとってかけがえのない特別な体験は、言述した結果、感情もろとも読者に共有される場合と、事実としては追体験できるが、作者固有の情況として理解・同情される場合とがあるように思います。一般化しようとして喪うものがあれば、そういう表現は選べませんが、機能的には散文に近くなります。本書には、両様の例が混在していると見受けられ、それが特色の1つになっています。

私が好きなのは巻頭の2首ー花びらの冬日にほぐれゆくに似る遠きひとつの恋を語るは。みづがねの色なき花の発光したれか呼びゐる真夜の液晶。

でも、こちらもいいー呼びかけに明るくかへる夫のこゑ記憶せよ踊り場も木の階も。夫と息子と話すさまざま楽しさうかうしていかう何があつても。