源平の人々に出会う旅 第38回「倉敷市・藤戸合戦」

 元暦元年(1184)3月、維盛は那智の沖で入水し、7月には後鳥羽天皇が即位しました。9月になると、源氏の範頼軍は播磨国に入り、平家軍は備前国藤戸に布陣します。両者は海を隔てて対峙したたまま日を送っていました。

【盛綱橋】
 漁夫から密かに浅瀬を聞き出した源氏方の佐々木盛綱は、海上を馬で駆け出しました。それを見た源氏軍は盛綱に続きます。現在、藤戸川に盛綱橋が架かっています。

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【経ヶ島】
 覚一本『平家物語』では、盛綱は漁夫を口封じのために殺害してしまいます。謡曲「藤戸」では、後に藤戸領主となった盛綱が漁夫の母に責められ、漁夫の供養を行います。この時の写経を埋めたのが、経ヶ島とされています。

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【漁夫塚】
 経ヶ島の頂上には、経塚(右)と漁夫の供養塔(左)が建っています。周辺には、漁夫の母が盛綱を憎み、佐々木の名に似た笹(ささ)をも抜いてしまったという「笹無山」などの伝説地があります。

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【藤戸寺】
 盛綱が、藤戸合戦の戦死者や漁夫の霊を弔うために大法要を行ったのが藤戸寺とされています。なお、延慶本や『源平盛衰記』では、漁夫は殺害されていません。

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〈交通〉
 JR倉敷駅よりバス
     (伊藤悦子)