源平の人々に出会う旅 第35回「紀州・維盛離脱」

 元暦元年(1184)2月、平家は一の谷で多くの公達を失い、屋島香川県)に滞在していました。その翌月、平維盛は、都へ残した妻子を片時も忘れることができず、与三兵衛重景・石童丸・武里を従えて密かに屋島を抜け出し、船で紀州へ向かいます。

和歌の浦
 維盛は清盛の嫡男・重盛の子で、本来なら平家の嫡流ですが、重盛が早世したため微妙な立場にありました。維盛は都へは向かわず、和歌の浦・吹上の浜・玉津島明神などを過ぎ、紀伊の湊に上陸します。

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玉津島神社
 和歌の浦や玉津島は歌枕として知られ、万葉集をはじめとする多くの歌に詠み込まれています。衣通姫を祭神の一柱とする玉津島神社は、和歌の神様とされ、小野小町が袖を掛けて和歌を詠んだとする「小野小町袖掛けの塀」があります。

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粉河寺】
 『源平盛衰記』には、維盛はこのあと粉河寺へ立ち寄り、法然と対面したことが記されています。延慶本『平家物語』では、高野山を訪れた後に立ち寄っており、粉河寺についての記述が詳細です。観音信仰で古くから有名でした。

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【根來寺(根来寺)】
 根來寺は、覚鑁(かくばん)によって開かれた新義真言宗の総本山です。古態性で注目される延慶本『平家物語』は、ここで書写されました。奥書には、延慶2~3年に根來寺で書写された『平家物語』を親本として、応永26~27(1420)年に書写したとあります(改編を伴う書写だったらしい)。そのため、応永書写延慶本とも呼ばれています。

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〈交通〉
 和歌の浦・玉津島社…JR紀勢本線和歌山駅よりバス
 粉河寺…JR和歌山線粉河駅、根来寺…JR和歌山線岩出駅よりバス
                          (伊藤悦子)