空のなごり

10代の頃、夕日が落ちて、暗くなる前の空が好きでした。残照が西空を染め、星が1つ2つ見え、見る見る茜色が緑色に、濃い藍色になっていく。細い三日月が懸かることもあり、遠い電柱のシルエットが浮かぶこともあります。殊に早春と晩秋は格別でした。黎明も綺麗なのでしょうが、見とれる暇がない。黄昏は遠く、胸の底に焦がれるような憧憬が焼きつく時間でした。

初老の頃には、それよりもうちょっと前の、日が傾き、暮れ方になっていく空の気配が好きになりました。「空のなごり」とは、こういう気持ちを言うのかなあ、と思ったりしました。春秋もいいが、夏の終わりの空の気配は、淡い悲しみを湛えていて、やるせない気がします。

1点の雲もない真冬の東京の空も、忘れ難いものです。異国で一生を終えることになったら、思い出すのは冬の朝の真青な空ではないかしら。秋晴れの青空は、なぜか甘く、悲しみがつよい。

子供の頃、寝たきりの病床生活をしたからか、空と雲には思い入れがあります。この世に未練はないが、ただ「空のなごりのみぞ」惜しまれる、と言った古人が、だんだん自分のことのような気がするのです。