能楽手帖

天野文雄さんの『能楽手帖』(角川ソフィア文庫)という本が出ました。現代でも演じられる能250曲の中200曲について、巻頭に「翁」を置き、その後、曲名のあいうえお順に、作者・上演史・展開(あらすじ)・素材・作意・演出などの項目を立てて、見開き2頁で解説しています。導入には作意を要約したキャッチフレーズ、曲柄(分類)、現在上演する流派、季節、舞台である地方、上演時間、登場人物も掲げられており、よくもこれだけの情報を詰め込んだなあと感心してしまいます。そのほか能楽用語解説、収録曲テキスト一覧も付せられていて、能楽鑑賞の手引きとして持ち歩くのには最適でしょう。

こうしてみると、能楽は日本人としての最小限度の教養に必須と言ってもいいかもしれない、という気になります。主たる古典、伝承、各地の名所、そしてそれらを含む名句が網羅されているからです。国際化が叫ばれる今日、外へ向かっても日本文化を説明するポケット辞書の代わりになるかもしれません。

天野さんは、現在は総じて能の「部分」に関心が集まり、「全体」として把握しようとする姿勢が希薄であると警鐘を鳴らしています。舞台劇であるという観点から、演出などの細部に関心が集まって、構想や表現などの論が少ないことは、門外の私から見ていても感じられることで、本書の「あとがき」を読むと、能という文学にどう近づき、どう潜りこむかについて、あるヒントが得られるでしょう。

私はつい、「素材」から入って読んでしまうのですが、本書の利用法にはいろいろあると思います。能楽鑑賞に出かけられない人でも、本書をちびちび楽しむ夜長は、豊かな時間になるはずです。