宗教芸能としての能楽

高橋悠介編『宗教芸能としての能楽』(勉誠出版 「アジア遊学」265)という本が出ました。法政大学能楽研究所の共同研究の成果をもとにしたそうで、勉誠出版科研費や機関プロジェクトの報告書をこのシリーズでどんどん出版しており、有意義だと思います。書名を見て私が意外だったのは、能が宗教的芸能であることは周知の事実だと思っていたからですが、近年の仏教資料の博捜や、仏教史の他分野への食い込みに基づき、従来とはやや異なる視点を含む「宗教芸能」という用語のようです。

本書は論文13本、コラム3本を4部構成に並べていますが、その区分は必ずしも歴然としてはいません。大東敬明さんは「除魔・結界の呪法と芸能」というタイトルで、「翁」の成立環境を考察、天野文雄さんは「春日若宮と能楽」と題して、若宮臨時祭・法楽能・祈雨立願能を取り上げています。小川豊生さんは世阿弥の「離見の見」という語を追究して禅思想との関係、高尾祐太さんは金春禅竹の「芭蕉」と草木成仏説との関係の見直しを試みました。野上潤一さんは『謡抄』以前の謡曲注釈と吉田神道との関係、博覧強記の落合博志さんは「放下僧・春日龍神楊貴妃・草子洗・三輪」などの語の周辺を掘り起こしています。平間尚子さんは、術婆迦説話の中世日本文学における変容を辿り、中野顕正さんは「海士」の成立背景を、西谷功さんは韋駄天説話を唐宋時代に遡って考察しており、いずれも源平盛衰記に関連するので、私は興味深く読みました。佐藤嘉惟さんの「関寺小町」試注は、論者自身の概念にやや混乱があるのでは。

私にとって一番面白く、為になったのは、猪瀬千尋さんの「能〈重衡〉の表現と思想」でした。単なる仏教思想解説ではなくまっすぐ文学論に入っていき、改めて対象を見直させます。平家物語の重衡救済について、考えねばならないことは未だに多い。