芋の茎

本井牧子さんの「見えない仏―仏像の霊験を語る話型ー」(「日本文学研究ジャーナル」10号)を読みました。「日文協日本文学」7月号に立木宏哉さんが書いていた、絵巻が神仏の顔を明確に描くか否かの問題と繋がっていて、興味深く読むことができました。本井さんは、『釈迦堂縁起』『真如堂縁起』における「仏を見ることができる者、できない者」という話の型を、実際に仏像を見ている参詣者たちに、本尊との絆を確信させるためのものであった、と述べています。

平家物語の「高野巻」にも、この話型の説話がある(それはまた別の意図)ことを想起しながら読んだのですが、ふと引用されている『長谷寺縁起』の「諸人被罰事」中にある挿話に、目が留まりました。牛飼童が長谷寺の観音にお参りしたところ、御戸の上に「ホシタルイモノクキ」が数多懸かっていて、観音の姿が見えなかったというのです。芋の茎が干してあって、とは奇妙な障害物で、本井さんは何も説明していませんが、どういう意味なのでしょうか(『『長谷寺験記』注釈稿』は入手困難のため未見)。

芋の茎を干した「芋柄」は、人間か牛の食用なのでしょう。さきの大戦中は食糧不足をしのぐため、薩摩芋の葉や茎を食用にしました(私は食べた経験がないのですが)。現在よく店に出る空心菜(エンサイ、ヨウサイ、朝顔菜とも)は、ヒルガオ科サツマイモ属で、美味しい野菜ですが、芋(奈良ですから蓮芋か里芋、ずいきでしょう)の干した茎は、私には美味しそうに思えません。戦国時代は救荒食にしたと聞きます。

牛飼童は、牛に芋の茎を与えなかったのか、自分が食べたかったのか(あるいは「随喜」との掛詞か)ーともかく観音から罰せられたらしい。でも現代の我が家では、今晩の肴は、空心菜胡麻油と塩で炒める予定です。麦酒にも冷酒にも合う。