震災体験・翌日篇

2011年3月12日の朝、地下鉄を降りて歩いていたら、春日通りの向こう側から、呼び止められました。前日、印刷物を納入するはずだった業者は、我が家の下に荷を積んだワゴン車を止めて夜を明かしたのだそうです。帰社するには多摩川を渡らなければならないので、賢い選択だったでしょう。

我が家は割れ物と本ばかりが詰まっているような家なので、惨状を覚悟して鍵を開けました。幸い、高い棚の本が落ち、トルコの大きな飾り皿が1枚割れていたくらいで、仏壇の中に水や珈琲がこぼれてはいましたが、故人の愛用品だった濱田庄司作の湯呑も無事でした。南北に揺れたので、あわやという所で止まったようです。

ガスが止まり、一時停電したらしい痕跡はありましたが、水も出ました。余震が続き、備蓄が呼びかけられたのですが、周辺のオフィスの若い社員たちが総出で水や食料を買い占め、あっという間に店では買えなくなりました。しかしよく見ると、自販機の飲料水は残っていたので、1本ずつ買い集めました。

この年は、3月19日付で『明日へ翔ぶ』の第2集が出ることになっていました。12日できあがりの予定でしたが、献本先の都合で5日にして貰っていたのが幸いでした。出版用の紙の大半は東北で生産されていて、助成金などの事情で出版期限のあるものは、紙が入手出来ずに困ったそうです。出版記念会は半年後に延期しました。

翌々日、福岡で法事があり、飛行機は平常通り飛んでいたので出かけました。1泊して帰京し、東京駅からタクシーに乗りました。あの日はタクシーが拾えなかった、と言ったら、運転手が、私らは普段20分で行ける所を2時間かかり、料金も稼ぎ、客からも感謝されてウハウハだった、という意味の話をしたので、思わずキレました。走っている車の運転手と喧嘩するのはまずいなあ、とは思いながら、みんな大変だったんだよ!と言わずにはいられませんでした。