2002年

昨夜、NHK-TV「ノーベル賞の会社員ー科学技術立国の苦闘」を視ました。2002年にノーベル化学賞を受賞した、田中耕一さんへのインタビューを中心に構成されたドキュメントです。インタビュー番組は、人物の顔や話しぶりが説得力の核になるので、本庶佑氏の威厳と田中さんの物静かで柔和そうな雰囲気が、印象的でした。

受賞後、自分は蛋白質質量分析の方法を発明はしたがその応用は出来ていないと悩んだこと、押し寄せる世間の波に圧倒されそうになったこと、しかし多分野の人と交流が出来て、新たな研究の助けになったことなどを語り、受賞前の自分がどうやっていたかを思い起こして原点に立ち返るまでが辛かった、と話す姿に胸を打たれました。その後2014年には、血液中の蛋白質の分析によりアルツハイマー病を早期に発見する方法を編み出した、とのこと。ようやく仕事を完成させたのです。ノーベル賞の完結、というより、賞に惑わされることなく、と言うべきでしょうか。しかも若手育成も果たしたらしい。

番組は、平成に入ってからの日本の受賞ラッシュは、戦後40年の教育・研究の自由さに基づくもので、構造改革の一環として断行された大学改革、研究予算の削減、性急な業績主義からは今後、ノーベル賞級のイノベーションは望めないと主張していました。平成は、後年、喪われた30年と呼ばれるかもしれません。

2002年、私は地方国立大学から私学へ転任し、大学改革を正しく認識している人がほんの一握りしかいないことに唖然としました。国立大学が法人化したことは、私学(殊に伝統校)には無関係なこととしか見えていなかったようです。あの時期こそ、学問の世界に市場原理が導入され、大学が競争原理に支配されるようになった、歴史の転換点だったのです。今でもなお、そのことを知らぬ大学人がいるのは残念なことです。