ambiguous

大江健三郎が亡くなりました(1935-2023)。私よりも8歳年上。軍記物語研究は8年くらい年長の世代が元気活発で、その世代は大江に「我らが旗手」という想いを持っていたようです。私には青春時代に新風で一世を風靡した、兄貴分のイメージでした。

評判になった『死者の奢り』『飼育』『芽むしり仔撃ち』を読み、死や性に固執する、昏い世界にいる作家だなと思いました。作品内にはやや奇矯な挿話もあって、面食らうこともありましたが、苦渋に満ちた表情ながら、社会性を喪わず、彼自身の立場がぶれていないことは、『ヒロシマノート』『沖縄ノート』を追っかけて確認しました。『個人的体験』『万延元年のフットボール』までは読みましたが、その後、やや長い、今までよりは魅力的なタイトルの作品が出るようになってからは、アクセスできませんでした。忙しくて現代文学にまで手が回らなかったこともありますが、作家の表情としての憂い顔に幾分食傷気味だったかもしれません。

ウェブで調べると、この間各国の作家やアーティストと盛んに交流していたようです。1994年にノーベル文学賞の受賞講演で、「あいまいな日本の私」という、パロディ風のタイトルを使ったことは印象に残りました。振り返れば、恩師(仏文学者の渡辺一夫)をずっと敬慕し続けたこと、知的障碍のある息子を保護するだけでなくリスペクトしていたこと、晩年まで社会性を維持したこと、青年から老人へと順当な変化を遂げたこと、それらは、今もなお「兄貴分」という感情を抱かせるに充分でした(老顔も理想的だし)。

村上春樹も一時代を代表する作家ですが、大江は地球規模で時代と格闘し、しかもあいまいさ(ambiguity)をひっくるめて時代の気分を体現した、という印象です。享年88。合掌。