この季節

日脚が伸びました。同時に我が家の室内に入る陽ざしはぐっと減り(冬の間は居間の奥まで陽が入り、本や絵が灼けるので気が揉めました)、その分ベランダの日当たりがよくなってきました。植木鉢をあちこち移動させては、紫蘭や匂菫や擬宝珠などの発芽を待ちわびています。

洗濯物を干しながら、薄曇りの空には何となく春霞の気配を感じます。鳥取勤務の頃、羽田へ飛ぶ飛行機の窓から、この季節には、霞の中から突き出す日本アルプスの尖端を見たことを思い出しました。まるで水墨画のような風景でした。

街を歩けばふっと、気のせいかな、と思うような甘い香りが通り過ぎることがあります。どこかに梅の花が咲いているのでしょう。もう白梅は六分咲きくらい、沈丁花もちらほら咲き出しました。庭木にもはやりすたりがあって、昭和30年代は沈丁花、50年代は花蘇芳が、どこの庭にもありました。平成になってからはとねりこなど、季節的変化のない木が多くなって、通行人にはつまりません。香りのある花や木は、他人をも楽しませてくれるので、持ち主までゆかしく思われるものです。

隣家の藪のピラカンサスがすっかり鳥に食い尽くされ、長泉寺の境内では山桜の蕾が膨らみ始めているのを確かめて、美容院へ出かけました。