古状で読む義経・弁慶伝

本井牧子さんの「古状で読む義経・弁慶の生涯」というコラムを読みました(花鳥社公式サイト https://kachosha.com/https-kachosha-com-gunki2020030801/ )。

中世後半から近世初期にかけて流行した、古状型往来と呼ばれる初学用模範書簡集に収載される、義経や弁慶に仮託した書簡形式の文章についての考察です。殊に武蔵坊弁慶の書簡と称する文章は、出典不明・作者不明ですが、義経伝を弁慶の眼で見たかのように書かれており、実在そのものも確たる証跡のない弁慶に不思議な存在感を付与したらしい。初学の時にこれらを読めば、義経・弁慶について共通のイメージが形成されてくるのではないか、但し現存の『義経記』は必ずしもそれに重ならない、義経や弁慶に関する話群は流動的で、大きな広がりを持つものであったらしいことを論じています。

往来物というジャンルには一時、研究者が注目しましたが、未だ解明されない部分が多いと思います。読み本系『平家物語』には、一ノ谷合戦で敦盛の首を取った熊谷直実が、同年の息子を持つ父親として、敦盛の父平経盛へ、遺品と共に漢文体の書簡(堂々たる文章です)を送る記事があります。覚一本で「敦盛最期」を読み慣れた眼には違和感があり、一種の往来物のような印象を受けるのですが、いま言われている往来物流行の年代では遅すぎるためもあって、未だ誰も本格的には究明していません。

軍記物語の周辺には、単なる典拠・引用関係ではない、巨大な話題の群れがひろがっていて、芸能や注釈文芸はそれらを肥沃な地盤として根を張り、枝葉を茂らせてきたと言ってもいいでしょう。本井さんは、このコラムの紙数では書き足りないようなので、別稿を期待します。