養殖魚

福岡の親戚から玄界灘の干物がどっさり届きました。冬には鰈の干物が美味しいこと、鰈にもいろいろな種類があって美味い不味いがあることは、鳥取在勤時代に知ったことです。県魚というのがあって、鳥取は鮃です。鮃の養殖技術を開発し、生きたまま首都圏へ輸送する方法を編み出し(水槽つきの大きなトラックに活魚と書いてあるのを、高速道路でときどき見かけますね)、地下興しの目玉にしていました。養殖場が東浜という観光地にあって、逃げ出してきた鮃の稚魚が、海水浴場で泳いでいるのをよく見かけるという噂でした。

養殖魚は今は近畿大学が有名ですが、なるべく天然に近い姿に育て上げるのが目標です。鮃の養殖も当初は苦労が多かったらしい。なぜか裏表とも同じ色になってしまうのです。裏が白くなければ鮃ではない。どうやら水槽のコンクリート底で擦れて、腹側も黒くなるのではということになって、水槽の底に砂を敷き詰めて解決したそうです。

鯛の養殖でも、本来、鯛は深い海で生活しているのに養殖場では海面から餌を与えるので、鯛が日焼けし、きれいな桜色にならない、という悩みのあった時代がありました。高級魚を私たちがスーパーで買えるまでには、いろんな試行錯誤があったのでした。