梅花

春の嵐が吹き荒れる一日です。和漢朗詠集をめくっていたら、「養得自為花父母」の句が眼に留まりました。まさにこの季節の雨です。近所でも梅が盛りになりました。

梅は桜と違って林や並木よりも、家の軒先など人里にまばらにある方が風情があります。例えば学生時代に紀伊半島を一周した時の川湯温泉あたりの白梅、鳥取を離任する際に同僚たちと訪れた津山・総社あたりの白梅。藪の中の野梅も印象的ですが、世田谷に住んでいた頃、無人の邸宅の塀の外に、1本だけあった老木の梅も未だに記憶に残っています。もう伐られてしまったでしょうね。

山陰本線を往復していた頃、地名は覚えていませんが、車窓から入り江がちらっと見える風景の中に紅梅の大木があって、一瞬で通り過ぎたのに今でも夢に見ることがあります。弟を看取った年は水戸へ通いましたが、この時季、偕楽園前には特急停車駅が特別にできます。水戸は、市内のそこここで、鶯がごくふつうに鳴く街でした。

遡れば子供の頃、近所に白梅の大木を数本植えた畑があって、祖母がよく連れて行ってくれ、「桜伐る馬鹿、梅剪らぬ馬鹿」という諺を教わったことも、がさがさした木皮の手触りと共に思い出します。

我が家にも白梅が1本欲しいと思って、昨年、近所で落梅を拾ってきて播いてみましたが、果たしてどうなるでしょうか。

声の文芸を紙上に

今朝の朝刊の読書欄に、伊藤比呂美石牟礼道子追悼文が載っていました。自ら石牟礼道子を、「詩的代理母」と思っていたと書いています。伊藤比呂美の小説は読んだことがありませんが、般若心経の現代語訳を読んだことがあります(調べたら、高校は同窓でした)。彼女の推薦する石牟礼作品の筆頭は『苦海浄土』。「日本語が、現代文学の中で、どこまで行けるかがよくわかる」と言っています。

学部の一般教養保健体育の授業で、いきなり、きりきり舞いする猫の映像を見せられたのは、50年以上前のこと。いま思えば、公害病の講義としては早い方だったと思います。その後、若気の正義感でチッソの一株株主になりました。地方勤務を繰り返すうちに株主総会の通知も来なくなり、株券は無効になってしまいましたが・・・『苦海浄土』も出てすぐ読んだのですが、熊本弁の独特な語りのトーン、その静謐な重さを、うっすら覚えているだけです。

石牟礼道子の文学のすごさの一つは、音だけのことばを、音を持たない人々に向かって、まるで音がありありと見えるように表記して納得させたところである。説教節、謡曲、声に出して人に伝える文芸はいろいろある。石牟礼さんは、『苦海浄土』から一貫して、そういう声に出す文芸を、力強く紙の上に叩きつけて、私たちの脳内に、声を再現させてきた」と伊藤比呂美は締めくくっています。平家語りと平家物語の文体との関係を思い浮かべながら、思わず頷きました。

日常詠

吉崎敬子さんの第5歌集『グリーンタウン便り[続]』(YU企画)を読みました。吉崎さんは都立高校定年後、歌誌「玉ゆら」同人として日常詠を発表したり、和歌説話集や古事記に関するエッセイを出したりしています。歌は口語と文語の混じった詠み口です。

若い時に非常勤講師先で知り合いました。彼女は、当時は山ガールでした。一緒に四阿高原へ旅行し、夏は、スキー場の斜面が一面の柳蘭で紅色に染まる光景を、見せて貰いました。

常日頃疑問に思うのは、現代短歌と文語体の関係。『サラダ記念日』くらいに突き抜けてしまえば、それはそれで納得できるのですが、文語をとり入れたたためにぎごちなくなるくらいなら口語に徹してしまうか、文語体に統一してしまうか、1首ごとに選んで詠んだらいいのではないか、と思うことがよくあります。作者の生理として音調に違和感はないのでしょうか。

本書の帯に掲出されている短歌もいいのですが、それ以外に私の印象に残った作を幾つか挙げてみます。

朝鮮通信使絵巻に描かるる清道旗と正使の衣装の赤のあざやか

見上げたる空は深くなりまさり心をほうと預けてみたし

帰り来し娘が脇を通る時木枯らしの匂ひ漂はせたり

上越道来たればなべて雪の界うすずみ色なる杉と家居と

足もとより蝶飛び出づるうれしくて草生ゆる路選びて歩く

歌集や句集を頂いた時に思うことは、こういう、白地が多い本を出したいなあ、という羨望です。ぎっしり字の詰まった本ばかり、ずっと書いてきたので。

源平の人々に出会う旅 第14回「武蔵嵐山・義仲誕生」

 平家討伐を呼びかけた以仁王の令旨を受け取った源氏の一人に、木曽の義仲がいます。父義賢は上野国多胡郡を本拠地としましたが、久寿2年(1155)、悪源太義平に武蔵国大蔵館で討たれてしまいました。

【鎌形八幡神社(義仲産湯の清水)】
 義賢は秩父重隆を養父として上野国武蔵国を往復していました。その間に義仲が誕生しており、鎌形八幡神社には産湯の清水(写真階段右下)が伝わります。

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【伝木曽殿館跡】
 義仲の出生地は不明ですが、嵐山町では山吹(義仲の愛人といわれる)が創建したと伝わる斑渓寺付近を、義仲の館跡としています。

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【大蔵館跡(大蔵神社)】
 この頃、皇室・摂関家・源氏・秩父氏の間で、それぞれ後継者争いが表面化していました。源氏の為義は、息子たちの中で長男義朝よりも次男義賢を跡取りにと考えていた可能性が高いようです。それが要因なのか、義朝は我が子の義平に命じて大蔵館を襲撃させ、義賢と秩父重隆を殺害してしまいます。

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【菅谷館跡(畠山氏居城)】
 この時、乳児だった義仲は木曽へ逃れています。『源平盛衰記』は、駒王丸(義仲の幼名)の殺害を命じられた畠山重能が駒王丸母子を斎藤実盛に託し、実盛は母子を木曽へ逃亡させたとします。そのため、20数年後の北陸合戦における義仲と実盛の悲劇の再会は、他の『平家物語』諸本よりも、いっそうドラマチックに感じられるのです。

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〈交通〉
東武東上線武蔵嵐山駅下車
        (伊藤悦子)

平家物語の能・狂言を読む

山下宏明さんの『『平家物語』の能・狂言を読む』(汲古書院)という本が出ました。5つの章が立てられていますが、第3章「平家」物の能を読む 第4章間狂言の世界 第5章「平家」物の狂言について に束ねられた、24の能狂言作品の解説と論考が本書の核でしょう。

読みにくい本です。理由の第一は、原文と現代語訳と著者による要約や註が(故意に)交ぜ書きになっているからで、謡の詞章を諳んじている人以外は、新潮日本古典集成『謡曲集』などのテキストを傍らにして読むことをお勧めします。

第二の理由は著者の文体です。言いたいことがたくさんあって急き込みながらとりあえず単語だけを連発するような、主語と述語も照応していない、そんな文章がぎっしり詰まっている。しかも著者の思い入れや回顧談が自在に飛び込んでくるので、読者は右往左往してしまいます。事実を淡々と叙していく、若い時期のような文体は、著者はもはや書きたくないのでしょうか。ならばもっとゆっくり、丁寧に説き陳べて欲しい。

本書で提言したかったことの一つは、間狂言が能を「虚仮にする」、という発見だったと見受けました。「パロディ」という語ではなく、「異化する」という言い方でもなく選ばれた表現のようです。間狂言研究の専門家がどう受け止めるか、知りたいものです。

山下さんは言うまでもなく、平家物語諸本研究の大長老です。私にとっても恩師であった市古貞次先生が、「山下君は、日本中どっかに平家物語があると聞くと、すぐ飛んで行っちゃうんだよ!」と仰言っていましたし、修論は大の男3人で運んだ、という伝説があります。殊に八坂系諸本の分類は、60年近く経った今でも、その枠組が通説となっており、『平家物語研究序説』(1972 明治書院)、『軍記物語と語り物文芸』(同 塙書房)が出た頃は、研究史上黄金時代でもありました。

鱓(ごまめ)

多ヶ谷有子さんの研究室の論文集『チョーサー・アーサー・中世浪漫Ⅲ』(ほんのしろ)が出ました。多ヶ谷さんの論文「チョーサー『カンタベリー物語』の「免償符売りの話」」のほか、ゼミのOBたちの書いた、英文の論文3本及び邦文の論文2本が収められています。多ヶ谷さんの論文は、思いがけず入手した財宝を、仲間を殺して独占しようと図り、結局全員が死んでしまう、という説話が中国から日本へ、一方で印度から英蘭へ伝わってチョーサーの作品に結実したとし、類話との比較によって作品の再解釈が可能になる、と論じています。

本書は多ヶ谷さんの定年退職記念でもあり、序跋に彼女の文章が据えられ、また執筆者紹介も多ヶ谷さんの温かい筆になるもので、36年間の教育者生活が、一貫して変わらぬぬくもりに満ちたものであったことが、ありありと分かります。

跋文の「鱓の歯軋り」には、在職中伸び伸び勤務できたことへの感謝と共に、今後の英語教育のあり方について、しっかりと意見を述べておられます。大学人として幸福な現役生活だったことが窺われ、ちょっと羨ましくも感じましたが、これもご本人の人徳ゆえのことでしょう。

鱓(ごまめ)を「古女」とも書くとは初耳だったので、辞書を調べたら、エイのことを古女と書くらしい。「ごまめの歯ぎしり」の類語に、「石亀の地団駄」という語もあるのをついでに知って、言い得て妙、と感心しました。

八重の侘助

寒い冬でしたが日脚が延びてきたので、春の気配が近づいてきました。小学校の門前にはクロッカス(私がこっそり植えました)が咲き始め、我が家のベランダでは葡萄ムスカリや素馨花、室内では胡蝶蘭の蕾が、日に日に膨らんでいます。一列に植えた球根は東寄りの株から咲き始め、春は東方からやってくる、というのはほんとうだなあと思いました。

実生の椿に、今年やっと、2つ花がつきました。近所に、門口に白い花ばかり植え込んだ粋なお宅があって、椿の大きな実がなり、つやつや光っているのに惹かれて1個失敬して播いたのです。6本芽が出て、1本は枯れ、2本は人に上げ、残った3本の中の1本です。当然、白い花だと思って十数年育ててきたのですが、咲いたのは薄紅の八重、和菓子のように優しい、小ぶりの花でした。吃驚してよくよく見たら、あのお宅の白椿の陰にはもう1本、赤い侘助があったのですが、色が濃く、一重咲きです。侘助は一重が普通なので、謎は深まるばかりです。

不思議と言えば不思議なのは、隣同士の花の色は伝染するらしい。ビオラプランターにびっしり植え込んだのですが、白の斑入りの咲く株を濃紫の花の株の傍に植えておくと、だんだん薄紫になる。植物学ではすでに知られていることなのでしょうか。