日常詠

吉崎敬子さんの第5歌集『グリーンタウン便り[続]』(YU企画)を読みました。吉崎さんは都立高校定年後、歌誌「玉ゆら」同人として日常詠を発表したり、和歌説話集や古事記に関するエッセイを出したりしています。歌は口語と文語の混じった詠み口です。

若い時に非常勤講師先で知り合いました。彼女は、当時は山ガールでした。一緒に四阿高原へ旅行し、夏は、スキー場の斜面が一面の柳蘭で紅色に染まる光景を、見せて貰いました。

常日頃疑問に思うのは、現代短歌と文語体の関係。『サラダ記念日』くらいに突き抜けてしまえば、それはそれで納得できるのですが、文語をとり入れたたためにぎごちなくなるくらいなら口語に徹してしまうか、文語体に統一してしまうか、1首ごとに選んで詠んだらいいのではないか、と思うことがよくあります。作者の生理として音調に違和感はないのでしょうか。

本書の帯に掲出されている短歌もいいのですが、それ以外に私の印象に残った作を幾つか挙げてみます。

朝鮮通信使絵巻に描かるる清道旗と正使の衣装の赤のあざやか

見上げたる空は深くなりまさり心をほうと預けてみたし

帰り来し娘が脇を通る時木枯らしの匂ひ漂はせたり

上越道来たればなべて雪の界うすずみ色なる杉と家居と

足もとより蝶飛び出づるうれしくて草生ゆる路選びて歩く

歌集や句集を頂いた時に思うことは、こういう、白地が多い本を出したいなあ、という羨望です。ぎっしり字の詰まった本ばかり、ずっと書いてきたので。